今週のメッセージ 2011.7.17

死の恐怖からの解放

 

一昨日(15日)の夕方、用事で弟のアパートに行ったとき、ご近所の方がお宅の玄関前で火を焚いているのを見ました。いわゆる送り火を焚いておられたのでしょう。お盆のこの時節は、日本社会にあっては、特に地方では、死者に思いを馳せる時期といえるでしょう。

しかし、死者に思いを馳せても、死そのものにはあまり思いを向けないようです。それは、死そのものが不気味で恐ろしいと感じているからでしょう。病院に4号室がないことがそれを雄弁に物語っています。

しかし、死に勝利され、かつわたしたちを死とその恐怖から解放して下さる方がおられます。それは主イエス・キリストです。

新約聖書中に以下のようなみ言葉があります。

「それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。」(ヘブライ2:14b)

青山学院の院長をされている山北宣久師のご尊父、故山北多喜彦師が天に召された時、枕元からトイレットペーパーにサインペンで書かれた遺言状が出てきたそうです。その終わりには奥様への感謝が記されたのち、「子どもたちよ/親の歩いた道仰いで/ついてきて下さい/ではまた」と結ばれていたそうです。「ではまた」――なんと豊かな余韻を湛えている言葉でしょうか。それは別れの言葉でありますが、同時に再会を約している言葉です。ここに完全に死に勝利し、死の恐怖からも解き放たれ、復活の希望のうちに地上生涯を終えられた魂の証しあります。

「死は勝利にのみ込まれた。/死よ、お前の勝利はどこにあるのか。/死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(Tコリント15:54,55)