今週のメッセージ 2011.7.24

「サイレントお祈り」しないで

 

表題は、一昨日の『朝日』の読者投稿欄『声』に掲載された一女子大生の記事のタイトルです。「サイレントお祈り」とは、厳しい就職戦線において戦っている学生たちの間で、企業の選考に落ちたことを「お祈りされた」というのだそうです。それは、企業から来る不採用通知の最後に、「○○様の今後のご活躍をお祈り申し上げます」と記されていることが多いからだそうです。

さらに、合格者のみに通知が行き、不合格者には一切連絡がない企業もあるとのことで、それを「サイレントお祈り」と呼んでいるとのことです。投稿者は、連絡がないと、「ひょっとしたら受かっているのでは」といつまでも期待を持ち続けてしまうので、企業側も募集した以上はその責任をきちんと取って欲しい。最低限イエスかノーかは連絡してもらいたい、というのがその主張でした。

就職試験で不採用になったことを「お祈りされた」といい、不採用通知が来なかったことを「サイレントお祈り」といわれていることを知りびっくりすると共に、「お祈り」の意味があまりにネガティブなのに二度びっくりでした。

一般的に手紙などの結びに、「ご多幸とご健康をお祈り申しあげます」などの表現はよく使われるように思います。しかし、ともすると内実を欠いた単なる形式的な表現で終わってしまうことになりかねません。

マタイによる福音書の“山上の説教”の中に次のような主イエスの言葉があります。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(7:21)