今週のメッセージ 2011.7.31

地域教会に所属する意義

 

聖書中にみられる「教会」には二通りの意味があります。

ひとつは、普遍的あるいは不可視的教会です。マタイ16:18の主イエスの言葉、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」における「教会」はこれに該当します。

もうひとつは、地域あるいは可視的教会です。こちらは多く見出されます。たとえば、「エルサレムの教会」(言行録8:1)、「コリントにある教会」(Tコリント1:2)、「テサロニケの教会」(Tテサロニケ1:1)等々です。

主イエスに対する信仰による救いに与った者は即普遍的・不可視的教会に所属する者となります。しかし、それで“事足れり”としてしまってはいけません。地域・可視的教会に所属する者となることが必要です。

何故かというと、普遍的・不可視的教会に登録されただけでは、その時点ではまだ霊的な意味で赤子だからです。生まれた赤ちゃんが、家庭にあってその一員となって養育されていくことが必要不可欠であるように、霊的にも救いに与った者は、具体的に地域・可視的教会に所属して神の養育の恵みに与っていくことが必要不可欠なのです。通常は洗礼を受けた教会の会員となります。そしてそこの会員と共に礼拝を守り、共に聖書を学びまた祈り、その他さまざまな活動に参加し、交わりに加わる中で、わたしたちの理解を凌駕する、くすしい神の養育の恵みに与っていくのです。

教会は「キリストの体」であり、「一人一人はその部分」といわれます(Tコリント12:27)。「キリストの体」「部分」としてきちんと連なる中で初めていのちの恵みに浴していくのです。所属しなかったり、あちこちと渡り歩いていたのでは健全な成長をとげることは出来ません。