今週のメッセージ 2011.8.14

喜びの宗教

 

キリスト教は「喜び」の宗教といわれます。旧新約を問わず、「喜び」「喜ぶ」といった言葉に満ち溢れています。

 

全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。/喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出よ。(詩編100:1,2)

 

わたしは主によって喜び楽しみ/わたしの魂はわたしの神にあって喜び踊る。(イザヤ61:10)

 

これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。(ヨハネ15:11)

 

いつも喜んでいなさい。(Tテサロニケ5:16)

 

 しかし、こうした聖書のことばがわたしたちの魂に実感として響いてこないことがあります。オバマ米大統領の就任式のときお祈りをささげたリック・ウォレン牧師は、その著書の中で次のように言っています。

聖書が教える実践的な喜びと、私たちの文化が教える喜びの概念が正反対だからです。私たちの文化は「自分のために生き、他人のことは忘れよ」という文化です。しかし主は、喜びというのは、感謝の心を養い、持ち物を分け与え、奉仕のために時間を費やし、福音を分かち合っていくときに自分のものになるといわれるのです。(「人生を変える力」、p.84)