今週のメッセージ 2011.8.28

見える神の言(ことば)

 

「見える神の言(ことば)」というからには、それに対する「見えない神の言(ことば)」があるのでは?ご推察の通りです。キリスト教会において、「見えない神の言」は説教を指し、それに対して「見える神の言」は聖礼典と呼ばれるものを指しています。

説教はおわかりいただけると思います。聖書の御言葉の説き明かしです。

聖礼典とはなんでしょうか。二つありまして、ひとつは聖餐、もうひとつは洗礼です。これを「見える神の言」と呼ぶのです。キリスト教の救いの福音の真理を目に見えるかたちで表しているものだからです。

洗礼は、全身を水の中に浸され、再び起こされるというかたちを通して、罪人の自分は、十字架に死なれたイエス・キリストと共に死んで葬られ、三日目に復活されたイエス・キリストにあって、罪赦され、神のこどもとされた新しい自分が生まれたことを表しています。

聖餐は、わたしたちの救いのために十字架で裂かれたキリストのみからだを表すパンと、同じく十字架で流された贖いの血を表すぶどう酒に与るものです。キリストによる救いのいのちの養いを表しています。

宗教改革で知られるジャン・カルヴァンは、その著書『キリスト教綱要』の中で、「神の御言葉が真摯に宣べ伝えられ、そしてそれが聴聞されるところ、また、聖礼典がキリストの制定によって執行されるとわれわれが見るところならば、いずこであろうと、神の教会が存在する」といっています。

「見えない神の言」と「見える神の言」。即ち、「神の言」こそ、キリスト教会のいのちなのです。

本日、当教会では洗礼式が行われます。来週の9月第1主日は聖餐式が行われます。もちろん、それらに先立ち説教が語られます。ハレルヤ!