今週のメッセージ2011.10.16

死をめぐる二人のクリスチャン作家の言葉

 

わが国の著名なクリスチャン作家に二人の綾子氏がいる。ひとりはすでに主の御許に帰られた三浦綾子氏、もうひとりは現在も健筆を振るっておられる曽野綾子氏である。

この両綾子氏の死をめぐる言葉が今も筆者の心に残っている。

曽野綾子氏は、1984年、カトリック静岡教会が宣教再開百周年記念の行事を催したとき講師として招かれ記念講演をされた。その折、ご自身の親御さんの介護ならびに看取りの体験に基づき、他者の世話になる以外何も出来なくなっても、最後に残された仕事がひとつある。それは自分の死に様を見せる事だと言われた。その言葉が今も強烈に心に残っている。

三浦綾子氏については、24歳から13年間カリエスで寝たきり、60歳で直腸がんの手術、70歳からパーキンソン病とまさに闘病の人生送った方であった。主の御許に召される前、衰弱が深まって行く中で、私はまだ死ぬという大切な仕事があると言われたと伝えられている。

広く知られているように三浦氏はプロテスタント、曽野氏はカトリックの信仰者である。従って、言うまでもなく両者の言葉は、その根底に主イエス・キリストに対する信仰があってのものである。具体的にその信仰の土台となっていると思われる聖句は挙げるとするならば、「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」(ローマ6:23)が挙げられよう。

曽野氏は、死というものの現実を直視する大切さを指摘されたのであろう。他方、三浦氏は、死に勝つ信仰を与えられた者がそれを証しする死を死ぬことの重さを語られたのであろう。そしてその両方が信仰者にとって大事なことなのだ。