今週のメッセージ 2011.11.13

幸いな人とは

 

マタイ福音書5−7章は「山上の説教」として知られています。その中の「八つの幸い」は特に知られています。

主イエスは、「心の貧しい人々」「悲しむ人々」「柔和な人々」「義に飢え渇く人々」「憐れみ深い人々」「心の清い人々」「平和を実現する人々」「義のために迫害される人々」「幸いである」といわれます。

この場合の「幸い」はいわゆる世にいう幸福とは異なります。上述の八つの人々資質は、生まれながらにして身に着けているような資質ではありません。またその人生において、獲得に努めて得られるようなものでもありません。それは神の御旨に適う者になろうと祈りつつ歩む中で、聖霊がその人の中に結んで下さる実です。人間が生来備えているもの、また精進によって得られるものではないのです。

従って、ここで主イエスが言われている「幸い」は、幸福追求的に生きて得られるいわゆる幸福とは異質なものと言わねばなりません。主イエスが言われる幸いな人々を一言で言い換えるならば、「キリストに似た人々」というのが最も適当でしょう。

「八つの幸い」の教えに続いて「地の塩・世の光」の教えが語られています。「あなたがたは、地の塩である」「あなたがたは、世の光である」と弟子たちに向かって主イエスはいわれます。この言葉は、「まさにあなたがたこそ、地の塩」「まさにあなたがたこそ、世の光」という具合に強調されて語られています。

御国を目指して生きるクリスチャンは、キリストに似る者となることを目指している者です。そしてそれは結果的に「地の塩」「世の光」としてキリストとその福音を証しし、伝えることにも通じていくのです。