今週のメッセージ 2011.11.20

霊を呼吸する

 

去る8日は立冬でした暦の上では冬に入ってきたわけです。夏が過ぎて快適な気候のはずの時期も、わたしにとってはそうではありません。喘息という持病を持っているからです。物心ついた時にはすでに喘息の発作の苦しみを知っていました。医師の診断は小児喘息ということで大人になれば治るといわれていました。しかし大人になっても治らず、気管支喘息ということで今日に至っています。

この間、大相撲の鳴門親方(元横綱隆の里)が急性呼吸不全で亡くなったというニュースが流れました。喘息の持病があったと聞き、喘息と死亡原因との因果関係は知らないものの、さぞ苦しかったのではと勝手に想像してしまいました。

一般の方は、喘息は空気が吸えなくて苦しいと考えられるのではないでしょうか。確かにそれは間違いではないのですが、厳密に言うと、それ以前に吐けなくて苦しくなるのです。肺の中の残存する空気が増え、それによってただでさえ吸いにくい上にさらに吸い込める量が少なくなって苦しさが募るのです。呼吸の「呼」は息を吐く意味です。「吸」は言うまでもなく吸う意味です。つまり吐くのが先なのです。決して吸呼とは言いません。

ところで、創世記2:7に、「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」あります。他方、主イエスは、「命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」(ヨハネ6:63)と言われます。人は、キリストの言葉を通して霊を呼吸して霊的に生きるのです。そのためには、神、聖書、信仰に対する誤解、偏見、先入観等を吐き出して、霊を吸わなければなりません。