今週のメッセージ 2011.12.11

主が来られたのは...

 

待降節も第3週に入りました。待降節はクリスマスを迎える備えの時であると同時に、再び来られる主への備えの時でもあるということで、まず2回にわたり、主の再臨への備えに関することを記しました。

そこで次の2回は、主の初臨、すなわちクリスマスへの備えに関することについて記してみたいと思います。

主は何のために来られたのでしょうか。新約聖書の最初に置かれている四つの福音書から一つずつ、それについて語られている主ご自身の御言葉をあげてみましょう。

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:13b)

故に、自分が罪人であることを自覚している者のみが、真のクリスマスの恵みに与ることができることを覚えなければなりません。

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)

だからこそ、罪人であるわたしたちに救いの道が開かれたのです。

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19:10)

故に、自分が神の御前に「失われたもの」であることを自覚する者がクリスマスの真の恵みを知ることができるのです。

「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」(ヨハネ10:10)

 故に、自分は神の御前には(霊的に)死んでいる者であることを自覚している者だけが、クリスマスの真の恵み―命―に与ることができるのです。