今週のメッセージ 2012.1.29

孤独への対処

 

人生には問題は付き物。問題と無縁で人生を歩むことは不可能です。従ってそれらの問題にどう対処するかが大切なこととなります。

問題の一つに「孤独」があります。創造主なる神は、最初から人間を“共に生きる者”としてお造りになりました。故に、「孤独」は人間存在の根源に関わる重要な問題です。

ところで、主イエスほど、ある意味で深い孤独感を味わわれた方は他にないでしょう。十字架に磔にされる前夜、汗が血の滴るように地面に落ちる中で主は祈られましたが、その傍で弟子たちは眠りこけていました。主が逮捕連行される時には弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去りました。辛うじて筆頭弟子のペトロだけはこっそり連行される主の後をつけるのですが、主との関係を追及されると三度もその関係を否定してしまいました。そもそも十字架に磔の道を開いたのは12弟子の一人、ユダの裏切りでした。

このような孤立無援状態、孤独のどん底に落ち込むことになったこの地上の歩みにおいて、主イエスはどのように孤独の問題に対処したのでしょうか。

重要なことが二つ挙げられます。

一つは、祈りです。特にルカ福音書は主イエスがよく祈られたことを伝えています。3:21を皮切りにそのあと8箇所ほど記されています。

もう一つは、実に積極的に他者に関わって歩まれたことです。孤独の殻に篭らずに、神と他者との架け橋となるべく行動されました。その極みが十字架上での執り成しの祈り(23:34)でしょう。

この主イエスの姿の中に孤独対処の重要な鍵があるといえるでしょう。