今週のメッセージ 2012.2.5

主に信頼し、善を行え

 

長い人生の中では、誰でも一度や二度は「なぜわたしにこんなことが?」と思わざるを得ない経験をするものです。旧約聖書の最初の創世記の終わりの方に、そのような体験をした典型的な人物といっても過言ではないヨセフという人が登場します。(37-50章)

紙面の関係上、このヨセフ物語をご紹介することは割愛しますが、その中では人生の不条理に遭遇したヨセフ自身の心の葛藤的描写はほぼ皆無です。しかし、最後の方に出てくるヨセフの二つの言葉が、ヨセフの胸中を垣間見せてくれます。

そのひとつは、ヨセフが兄弟たちに身を明かした際の言葉です。すなわち、「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」(45:4,5)

もうひとつは、「恐れることはありません。...あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(50:19,20)

このヨセフの言葉には、摂理の神が証しされ、その神を信頼し、希望を失わず、忍耐強く、善を行うことに努めて生きたヨセフの生き方が表されています。

旧約聖書の詩編の中に次のような言葉があります。

 「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。主に信頼し、善を行え。」(詩編37:1−3a)