今週のメッセージ 2012,4,1

受難週に因んで

 

今日から受難週に入りました。次の主日はイースター(復活日)です。

イースターの意義を真に知るためには、主の受難の意味をきちんと知ることが絶対必要不可欠です。なぜなら、イースターはただ単に主の死からの甦りを喜び祝う日ではないからです。主の十字架(受難)の死からの復活の祝いなのです。故に、十字架(受難)の意味するところをしっかり踏まえることが、イースターを迎えるための何よりの備えとなるのです。

主の十字架の受難の直接の原因は、イスカリオテのユダの裏切り(マルコ14:10)を発端として、当時のユダヤの宗教的指導者たちの「ねたみ」(マルコ15:10)や、群衆の付和雷同性(マルコ15:6-15)や、総督ピラトの自己保身(マタイ27:24)などです。一言で言えば人間の罪です。しかし神は、この人間の罪がもたらした十字架を逆手に取って、すべての人間の罪の赦しのために用いられたのです(ローマ3:25a)。しかもそれは事の成り行きでそうなったというのではなく、主は最初からこの目的のためにこの世に来られたのです(マルコ10:45)。

この真理は、3年と6ヶ月、直接主の教えを聞き、その御業を直に見、起居を共にしたあの弟子たちですら悟れませんでした。しかし、十字架と復活、昇天そして聖霊降臨の出来事を経る中で弟子たちは悟っていったのです。Tペトロ2:22-24の言葉は筆頭弟子ペトロが得た悟りです。

後に宗教改革で知られるM・ルターは十字架について、「主は金や銀をもってではなく、ご自身のきよい尊い血と、罪なくして受けられた苦しみと死とをもって、失われ、罪に定められた人間であるわたしを、すべての罪と、死と、悪魔の力とから救い出し、贖い出し、主ご自身のものとなされたのです」と述べています。