今週のメッセージ 2012.6.24

「出す」と「入る」

 

「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」

(使徒言行録2:38)

いきなり私事で恐縮ですが、物心ついたときには喘息で苦しんでいました。一般の方には空気が吸えなくて苦しいのだろうと思われがちですが、実はその反対で、それ以上に吐けなくて苦しいのです。呼吸の「呼」の字は息を吐くことを意味し、「吸う」に先立って吐くことが必要なのです。喘息はそれがままならず、肺の中に残存する空気が増え、ますます吸うことが出来なくなって苦しいのです。呼吸という文字そのものが、それを表しています。

喘息の話しはそれぐらいにして、生命の営みをはじめ大袈裟に言えば宇宙の営みは、すべて、「出す」方が「入る」方より、先になることで、その健常性を保っていると言えます。

例えば「出入り口」と言いますが、「入り出口」とは言いません。英語で言うGive and Takeもやはり“Take”(取る)よりも“Give”(与える)方が先です。「(金銭)出納帳」出納も「出す」が先で「入る」の意味を持つ「納」は後です。そして生命は「オギャ−」と息を吐きながら誕生し、「最期の息を引き取る」ことによって終わるのです。

霊的なことに目を転じると、使徒パウロがエフェソの長老たちに別れを告げた際に、主イエスの言葉として、「受けるよりは与える方が幸いである」と言っています(使徒言行録20:35b)。

冒頭の聖句は、自らの罪を告白する「悔い改め」が先であること。すると、神から「罪の赦し」そして賜物としての「聖霊」を受けるのだと告げています。すべて「出す」が先で「入る」は後なのです!