今週のメッセージ 2012.10.14

聖なる公同の教会を信ず

「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・・・・・・更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。」(ヨハネの黙示録21:1−2)

 

表題は使徒信条の中の一節です。それに続く冒頭の聖句は、『ヨハネの黙示録』における新天新地のことが語られ始める書き出しの御言葉です。

「教会」は、使徒信条において父なる神、子なる神イエス・キリストそして聖霊なる神を信じると告白されているのとは意味合いが異なりますが、やはり信ずべきものなのです。

冒頭の聖句中の「聖なる都、新しいエルサレム」とは、キリストの再臨により到来する新天新地におけるキリストの教会を表しています。キリストの教会はキリストの花嫁として迎えられるのです。「神のもとを離れ、天から下って来る」のはおかしい。教会は地から天へ昇って行くのではないか、と思われるかも知れません。しかし、教会の起源は神のもとにある故、「神のもとを離れ、天から下って来る」と告白されているのです。

こうしたことは、人間の知力、理解力を超えている信ずべきことがらなのです。

また「公同」とは、教会が時空を超えて一つであることを示しています。

さらに、教会は「キリストの体」であり、「一人一人はその部分」(Tコリント12:27)であると言われていることも、単なるクリスチャンの一体的団結力の強さといったものを表現しているものではありません。教会に連なる者となったということは、単なる団体所属ではなく、霊的な意味で実際にそこでキリストのいのちに与り、またその手足となってキリストの働きを担うことなのです。これらは信ずべき事柄であり、信じてそのように生き、働くことに連動していくべきことがらなのです。