今週のメッセージ 2013.1.6

「公現日」と「松の内」

 

世間一般では今日1/6までがいわゆる「松の内」。年の暮れに飾った松飾り(門松)は6日の深夜あるいは7日の早朝には取り除くのが習わしになっています。また、新年に入って初めて会った人に新年の挨拶を交わすのも松の内までです。(以上ご贈答マナー辞典による)

他方、キリスト教会の暦、中でも伝統的なグループでは、1/6は「公現日(顕現日)」となっています。異邦人に対するキリストの公現(顕現)を祝う日で、礼拝テキストとして新約聖書中のマタイ福音書2:1−12の東方からの博士たちが星に導かれてご降誕のキリストを礼拝しに訪れた記事がよく開かれます。

両者を見比べるならば、先の「松の内」で示唆されている「新しさ」は時間の経過とともに古びていく新しさということが出来るでしょう。故に正月も冥土の旅の一里塚で目出度くもあり目出度くもなし、という思想が生まれてくるわけです。

それに対して後の「公現日」において示唆されている新しさは古びることのない永遠の新しさです。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ」て下さいました(Uコリント5:18)。それによりわたしたちに永遠の命の救いがもたらされたのです。

年の暮れに松飾り(門松)を立てて迎えた年神様は松の内を過ぎると去って行きます。しかし、ご降誕のキリストの名は「インマヌエル」、即ち「神は我々と共におられる」の意です(マタイ1:23)。そして、決して古びることのない新しさでわたしたちを「新しく創造された者」(Uコリント5:17)として下さり、わたしたちは「『外なる人』は衰えていくとしても、『内なる人』は日々新たにされて」(Uコリント4:16)いくのです!