今週のメッセージ 2013.3.10

イエス・キリストを信じるとは

 

「イエス・キリスト」というそれ自体が最も簡潔な信仰告白の言葉になっています。すなわち、“イエスはキリスト(救い主)”との信仰を言い表していることだからです。また、魚のマークがキリスト教あるいはクリスチャンのしるしとして使われることがありますが、それは「イエス」、「キリスト」、「神」の「子」、「救い主」の5つの語のギリシャ語の頭文字を並べると「魚」という語になることから、迫害時代にキリスト教信仰の密かな表明として用いられたといわれています。

マタイ福音書の16章に、主イエスがキリスト(救い主)であることを弟子たちに打ち明け始められたことが記されています。その言葉は以下のようなものです。

「このときから、イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。・・・わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(212425節)

十字架の死および三日目の復活は、イエスがキリスト(救い主)であることと密接不可分な出来事なのです。

さらにイエス・キリストを信じて生きることは、「自分を捨て、自分の十字架を背負って」生きることと密接不可分なのです。その生き方は、例えばこれまで自分のためだけに使っていた時間や財(お金)等を、これからはイエス・キリストのため、またその教会のために献げて生きることから具体的に始まっていくのです。すると主はそのことを祝福して下さるのです。