今週のメッセージ2013/03/24

他人事ではない!

先月の13日から教会暦では受難節というキリストの十字架の受難に想いを馳せる特別な期間を過ごしています。そして本日よりその最後の1週間(受難週)に入ってきました。

キリストが十字架に磔にされたことは一般的にも知られています。しかしその経緯や、さらにはそれと自分との関わりということになるとわずかの方しかご存知ないのが現状です。

主イエスを死刑にと企み、ローマ総督ピラトに訴え出たのは当時のユダヤの指導者たちでした。その訴えは不当なものでしたが、ユダヤ人の内々においては神聖冒瀆罪、ローマ総督ピラトに対しては皇帝反逆罪でした。

一般群衆は、指導者たちの裏工作に乗せられて、「十字架につけろ!」とピラトに激しく迫りました。

他方、裁判長のローマ総督ピラトは、イエスが死刑に処せられるような罪は見当たらないとしてイエスの釈放に努めたのですが、「十字架につけろ!」と激しく迫る群衆の騒動を起こしかねない勢いに押され、結局、自らの保身のためにピラトは死刑判決を下してしまったのです。

ここまでだと他人事で終わってしまいそうですが、自分自身をユダヤの指導者たち、一般群衆、そして総督ピラトに身をおいて考えるとき、同じように振舞ってしまうのではと他人事ではないことに気付かされます。

そして最も重要なことは、御子の十字架こそ、実はわたしたちの罪の赦しと永遠の命の救いのための神の贖いの御業だということです。

「罪と何のかかわりのない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を受けることができたのです。」

(新約聖書・Uコリント5:21)