今週のメッセージ 2013.6.16

続・霊とことば

 

先週、霊とことばの密接な関わりを示している聖句を、旧約聖書から1つ、新約聖書から3つ、併せて計4つを紹介しました。

その4つの内の1つ、エフェソ6:17は次のような聖句でした。

「また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」

この御言葉は、霊と言葉の位置関係を端的に示していると言えます。つまり、「神の言葉」は「霊」が用いる「剣」、即ち「道具」だというわけです。ここにおいて「霊」と「神の言葉」は並列に位置しているのではないことがわかります。当然なことですが、「霊」は第3位格の神であられ、「言葉」は神が用いられるいわば「道具」なのです。

この点についてH・ベルコフという神学者がその著書『聖霊の教理』の中で興味深いことを述べています。それは次のようなものです。

聖霊の偉大な運動における主要手段が、言(イエス・キリスト)に仕える言葉だ」と述べ、「言葉は聖霊の道具である。しかし聖霊は言葉の囚人ではなく、言葉も自動的に働くわけではない。言葉が聖霊を人の心にもたらし、聖霊が言葉を人の心にもたらす」というのです。

「言葉は聖霊の道具」とはっきり述べると共に聖霊は言葉の中に閉じ込められているわけではなく、また言葉を語ればそれに伴って聖霊が自動的に働くというわけではないというのです。しかし、言葉が聖霊をわたしたちの中に吹き入れ、他方、聖霊がわたしたちの内に神の言葉を刻むというわけです。

聖霊の豊かな恵みに与るためには基本的に神の言葉なる聖書を決して蔑ろにしてはならないのです。日々祈りつつ、聖書に向かいましょう!