今週のメッセージ 2013.9.8

陰府に下られたキリスト

 

先々週(8/25)は、『神であり人である方』の主題で、使徒信条の第2項目の中心「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」に従属する告白の最初に出て来る「主は聖霊によりて宿り、処女マリアより生まれ」の部分を取り上げました。実にこの告白は、イエス・キリストが神であられ、同時に人となられたという信仰を言い表しています。

今週はそれに続いている「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」の中の「陰府にくだり」について取り上げたいと思います。

「陰府」は新共同訳聖書の後ろの用語解説にもあるように、“死者が集められる場所”です。この「陰府」は、旧約聖書においては大方、神の力も神の恵みも及ばない所といった意味で用いられています。

しかし、救い主イエス・キリストの来臨により新約時代に入ると、陰府の様子が決定的に変わるのです。使徒信条においてそのことに触れているのが、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」という主イエスの十字架に関する告白であり、中でも「死にて葬られ、陰府にくだり」は、その後に続く「三日目に死人のうちより甦り」のキリストの復活に関する告白と相俟って陰府は最早、神の力も神の恵みも及ばない所ではなくなったことが示唆されています。信ずるわたしたちに死の恐れからの解放の道が開かれたのです!

旧約聖書中にありながら詩編139は、「どこに行けば/あなたの霊から離れることができよう。・・・陰府に身を横たえようとも/見よ、あなたはそこにいます」とあり、太字で記した8節bの故に“詩編の中の王冠”といわれているようです。内容的に実に新約的ではありませんか!