今週のメッセージ2013.11.3

「『聖なる公同の教会』を信ず」

 

先週に引き続き『使徒信条』について記します。

前回は「われは聖霊を信ず」のタイトルで記しましたが、それは以下に続く「聖なる公同の教会、聖徒の交わり・・・」に深く関わっていることを述べました。

そこで今回は最初の「聖なる公同の教会」について記したいと思います。

一般的に教会は、この世の団体やクラブ、同好会のように人間が作り出した人間の集まりのように見えます。

しかしその起源は、(聖霊なる)神に因っているのです。救い主イエス・キリストは十字架の死と三日目の復活による救いの御業を成し遂げた後、天に帰っていかれました。それから10日の後、代わって降臨されたのが聖霊なる神です。イエスの弟子たちは、主の十字架の時点では“我が身可愛さ”の余り主を見捨てて逃げ去りました。しかしそれから2ヶ月足らずのうちに、イエスを十字架に磔にした人々に対して、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(使徒言行録236と力強く証しする者と変えられていました。この悟りと証しの力を付与したのが聖霊なる神だったのです。

この聖霊の降臨の出来事を「ペンテコステ」として記念して毎年祝います。そしてこの日は「キリスト教会の誕生日」とも言われています。なぜなら、教会とは「イエスをキリスト(救い主)と信仰告白する者たちの集まり」だからです。この点においてはカトリックもギリシャ正教もプロテスタントも共通しています。即ち「公同」なのです。そして「聖なる」とは聖人君主の意味ではなく、聖霊により“イエスはキリスト”との信仰によりこの世から贖い出されて“神のもの”とされたことの意味なのです。