今週のメッセージ2013.11.10

「『罪の赦し』を信ず」

 

前回は使徒信条の中の「聖徒の交わり」を取り上げましたので、今回はそれに続く「罪の赦し」について考えてみましょう。

まず「罪」はどのように定義されているのでしょうか。ウエストミンスター小教理問答書よると、「罪とは、神の律法に少しでも適わないこと、または、これを犯すことである」といれています。神の律法を犯すことについては理解が容易かと思いますが、「神の律法に少しも適わないこと」も「罪」なのです。マタイ福音書の“山上の説教”として知られる主イエスの教えの中に、殺人という行為に及ばなくても、相手の人格を否定あるいは傷つけるような言葉を吐くだけで、「殺してはならない」との律法を破っていると判定されています。故に聖書は、すべての人は神の前に罪人であると宣言しているのです。

では、この罪の問題の解決はどこにあるのでしょうか。それは赦されることです。聖書には、「血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです」(ヘブライ922とあり、また、「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(Tヨハネ17とあります。イエス・キリストの十字架の死は、まさにわたしたちの罪の赦しのためだったのです。故に宗教改革者で知られるM・ルターは次のように勧めています。

「キリストを、それも十字架につけられたキリストを知るように努めなさい。キリストに向かって歌い、こう言いなさい。主イエスさま。あなたはわたしの義です。わたしはあなたの罪です。あなたは、わたしのものであったものを、ご自分のものとされました。あなたは、あなたのものであったものをわたしに下さいました。わたしがそうでなかったわたしになるために、あなたはそうでなかったあなたになられました。」