今週のメッセージ201//12)

神の子イエス・キリストの福音の初め

 

冒頭のタイトルは『マルコによる福音書』の書き出しです。と言うよりも、むしろ『表題』と言った方が当を得ているでしょう。マルコは、他の三つの福音書と比べると、ルカのような序文もなければ、またマタイのように系図もない。その誕生にも触れず、いきなり洗礼者ヨハネの働きから始まり、何か形式に欠け、順序を踏んでの運びもない、と思われるかも知れません。しかし実は要を押さえた最も単純シンプルな福音書なのです。

使徒言行録の1章の、脱落したイスカリオテのユダの後継者選びのところで、その資格の条件に、「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中から・・・」(1:22,23)とあり、ヨハネの洗礼からキリストの昇天までが、地上における主イエスのキリストとしての働きの全体をカバーする期間であることに気づかされます。となると、マルコはその要をきちんと押さえていることになります。

もうひとつは表題です。その中の「初め(アルケー)」は、創世記1:1、ヨハネ福音書1:1、さらには黙示録の「わたしはアルファであり、オメガである。・・・初めであり、終わりである」(22:13他)を想起させ、それは単なる順序的初め以上の、即ち、創造においてすべてに「初め」を与え、また「終わり」は、完成と審判においてすべてに「終わり」もたらすという、深く豊かな意味を秘めていることばであることに気づかされます。

つまり「神の子イエス・キリストの福音の初め」の表題を以って始まるマルコ福音書は、神の子イエス・キリストが、その福音によって、滅ぶべき罪人を再創造なさることが記されていくことを提示し、実に簡潔にそれを伝える福音書なのです。