今週のメッセージ2014.2.2

主イエス、誘惑を受ける(1)

 

先週は「主イエス、洗礼を受ける!」の主題で記しました。マタイ福音書では洗礼者ヨハネの宣教と主イエスの宣教開始との間に主イエスに関する二つの出来事が記されています。一つは、前回の主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたこと、そしてもう一つは、これから記す主イエスが荒れ野でサタン(悪魔)の誘惑(試み)に遭われたことです。

前回、何の罪もない主イエスが、ヨハネから“罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼”ことの意味として、罪人の救いのために罪人と連帯されたのだと記しました。『ヘブライ人への手紙』217に、「それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」とある通りです。

そもそも神の御子が人となられた(ヨハネ114)ことにおいてすでにその始まりがあるのです。そして前回記したヨハネからの受洗においてその具体化がスタートしたといえます。

次の荒れ野におけるサタンの誘惑に遭われたことは、まさに人となられ、かつわれら罪人と連帯された故の出来事なのです。そうでなければ三回に亘るサタンの攻撃は、主イエスにとって何の意味もない、的外れのものでありました。

ところで、サタンの三回の攻撃に対して、主イエスは三回とも聖書の御言葉を武器としてそれらを退けられました。これもわたしたちに連帯された故の戦われ方であったといわねばなりません。「神の言葉」「霊の剣」ともいわれ、われらにとってサタンと戦うための唯一の攻撃用の武器なのです。(新約聖書・エフェソ617