今週のメッセージ2014.5.11

「見ないのに信じる人は幸い」

 

「イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)

この言葉は、新約聖書の最初に置かれている四つの福音書中、四番目の『ヨハネによる福音書』に出て来るものです。さらに付け加えるならば、著者ヨハネが福音書を記した意図・目的を述べているその直前に置かれているものです。

これは、直接的には主イエスが十二弟子の一人トマスに向かって語っておられる言葉ですが、むしろわたしたちに向けて語られている御言葉と言えるでしょう。

主イエスは、「見ないのに信じる人は幸い」といわれています。しかし、トマス以外の他の弟子たちは見ないのに主イエスの復活を信じたかというとそうではなく、「弟子たちは、主を見て喜んだ」(同20節)とあるように見て信じたのです。また、この20章に登場する婦人たちも、やはり見て信じたのです。

ではなぜ、この言葉がここに置かれているのでしょう。その理由は、偏に後に続く著者の執筆目的の言葉の故です。即ち、

 「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。」(同31節)

この書が記されたのは1世紀の終わり頃、即ち次世代の時代が到来しつつあり、直に主とお会いすることは不可能な時代となっていたのです。その点ではずっと後世の時代に生きているわたしたちも同じです。そういうわたしたちに主は、「見ないのに信じる人は幸い」と仰せなのです。