今週のメッセージ201/05/18)

クリスチャンの生の二重性

 

「 神は・・・永遠を思う心を人に与えられる。」(コヘレト3:11)

冒頭に記した聖句は、旧約聖書の中の『コヘレトの言葉』出て来るもので、創造主なる神は、人に「永遠を思う心」を与えられると告げています。

ならば、人間がその心に永遠を思う思いを授けられながら、現実は死を以って人生を終えてしまうのは大いなる矛盾ではないか。なんと不条理な、と思われる向きもあるかも知れません。

しかしそれは神に因るものではなく、人間のその罪に因っているものです。なぜなら、新約聖書の中の『ローマの信徒への手紙』512に、「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです」とあります。人間は、創造主なる神により、神にかたどって創造されました(旧約聖書・創世記1:27)。故に、人間は本来、神の言葉に従って生きるべき者なのです。しかし、神の言葉に背き、死すべき者となってしまったのです。

しかし、同書623に、「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」とあります。即ち神は、死すべき者となった人間に「永遠の命」の救いの道を開いて下さったのです。

その救いを受けたクリスチャンは、一方においては、天に国籍を持つ者として、御国の民としてふさわしく成長することを追い求め、他方においては、この救いを証しする使命を担う「キリストの大使」として歩むことが求められているのです。ここにクリスチャンの生の二重性があります。そして、「永遠を思う心」を持っていることは人間の本性に適っていることなのです。