今週のメッセージ 2014.7.6

十戒における出エジプト記と申命記の比較

 

十戒は、出エジプト記20:2−17と申命記5:6−11の二箇所に出てきます。両者を比較すると、もちろんその本質においては一致していますが、相違もみられます。その中で最も目立っている相違点は第四戒の安息日を聖とする理由です。

出エジプト記では次のように記されています。

「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」(11節)

それに対して申命記では以下のように記されています。

「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。」(15節)

すなわち、出エジプト記では、創造主とその御業を覚えることがその動機付けとなっていますが、申命記では、主がエジプトにおける奴隷のくびきから救い出して下さった恵みを覚えることが動機付けとして示されているのです。

この違いはどこから来ているのでしょうか。

出エジプト記では、イスラエルの民がエジプトを脱出し、シナイの荒れ野に入り、シナイ山でモーセが主から授かったものとしての十戒が記されています。それに対して申命記の方は、40年にわたる荒れ野の旅も終わりに近づいた時、モーセが再述するかたちで十戒が語られています。そこでは安息日を聖とする理由に、エジプトから贖い出された恵みを覚えることが新しく動機付けとして付加されたと理解するとよいでしょう。