今週のメッセージ 2014.8.31

第六戒

 

「殺してはならない。」(出エジプト記20:13)

このところ十戒を毎週一つずつ見てきましたが、今週からは、前半の神との関わりに関する戒めを終えて、後半の人との関わりに関する戒めに入ります。そこで本日は、後半の最初、冒頭に記しました第六戒「殺してはならない」を見ることにいたします。

「殺してはならない。」ごく当たり前のわかりきったことではないか、と思われるでしょう。確かにそうです。しかし、小さな子どもから、「なぜ人を殺してはいけないの?」と訊かれたら、どう答えますか?案外戸惑うに違いありません。いのちとか、この世界の始まりとか終わりとかの問題は至って始原的であり、また究極的です。人間の頭脳では、推測・想像は出来てもそこまでで、本当のところは天地万物の創造者であり、支配者であり、かつすべてに終わりをもたらす神に問う以外にありません。

旧約聖書の最初の書、創世記9:6に次のような言葉があります。

人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。

 実に人は、創造主なる神により、神のかたちにかたどって造られた存在である故に、そのいのちは重んじられねばならないのです。

アウグスティヌス(A.D.354-430)という人が、「認識は信仰の報酬なり。ゆえに信ぜんがために認識せんとするにあらず。認識せんがために信じよ」という言葉を遺しています。自然科学的な真理は、認識→信じる、の順序でよいのですが、聖書中の霊的真理に関しては、信じる→認識の順序が求められます。即ち、信じることから次第に知る道が開かれていくのです。殺人が禁じられる理由もその類の真理です。