今週のメッセージ 2014.9.14

「姦淫」について

 

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(旧約聖書・創世記1:27、新共同訳)

 

27節という僅か一節の中に三つのセンテンスが含まれています。そして各センテンスに「創造された」という言葉が入っています。しかし、同じ「創造された」においても、最初においては、創造されたのは「神」であることが強調され、二番目においては「神にかたどって」創造されたことが強調され、最後では「男と女に」創造されたことが強調されています。

さて、「神にかたどって」においては、人間が神との関係の中で生きるべき存在としての本質が示されています。

「男と女に」においては、人間は単独ではなく、他者との関係の中で生きるべき存在としての本質が示されています。さまざまの他者との関係があります。親子、兄弟、友人、知人等々。しかし、あらゆる人間関係の中で最も核となるのは「男と女」即ち「夫と妻」という関係です。そして創造主なる神は、あらゆる人間関係の核である「夫と妻」の関係において、新しい命の誕生とその命の養育の務めを託されたのです。

それ故に「男と女」、「夫と妻」の関係は極めて重要なのです。この関係が乱れたり、壊れたりしていくと、その影響はすべての人間関係に直接、間接に波及して行きます。

従って、人間存在の本質としての「神との関係」そして「男と女の関係」言うまでもなく最重要課題です。そしてこの二つの関係が誤ったかたちになるとき、聖書はその両方とも同じ「姦淫」という言葉でその誤りを表現していることを覚えなければなりません。