今週のメッセージ2014.11.9

聖書の書き出し

 

「初めに、神は天地を創造された。」(旧約聖書・創世記1:1)

これが聖書の書き出しです。「初めに、神は天地を創造された。」

一般的に書き出しとしてよく知られているのは、川端康成の『雪国』でしょう。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」この書き出しで読者は一気に雪国へと誘われるのです。

では、聖書の書き出しは読者をどこへ誘うのでしょうか。それは天地万物、即ち、さまざまな植物や生物そして人間をも含め、すべてはその始まりを神に内に持っているということです。

するとある人は、否、神の存在の有無そのものを問うことから始めるべきではないか、と言われるかも知れません。

確かに聖書は神の存在は前提の上で語り出しています。人間の頭の理屈では不合理のように見えるでしょう。しかし、それは人間の側の理屈であって、神ご自身は決して不合理とは思われないのです。

神はいわれます。「わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない」(旧約聖書・イザヤ44:6b)、と。

また次のように記されています。「神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。「わたしはある」という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと』」(旧約聖書・出エジプト記3:14)。これはモーセが神に名を問うた時の神の返答です。

神は、「わたしをおいて神はない」といわれ、また、わたしの名は「わたしはある」という者だといわれます。故に至極当然の書き出しなのです。