今週のメッセージ2014.1.4

キリストにある新しく造られた者として生きる

 

新年を迎えたと思ったらば、早や3が日が過ぎ、本日は4日。新年早々水を注すようですが、新しい年も日一日と古くなっていきます。

新年早々、小難しいことを記して恐縮ですが、表題に「新しく」の語が含まれています。新約聖書において、この「新しい」と訳される原語のギリシャ語には、主として“kainos”と“neos”が用いられています。“neos”は時間的な新しさを意味しています。それに対して“kainos”は質的な新しさを意味します。即ち、前者は時間の経過につれて新しさを失っていきます。しかし後者は、その新しさは失われないのです。

ところで、新約聖書のUコリント517に、「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(口語訳)とあります。ここでの「新しく造られた者」、また「すべてが新しくなった」の「新しさ」は古びることのない新しさです。ただし、「キリストにあるならば」の条件がついています。

また、同じUコリント4章には、「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」(同17節、口語訳)とあります。ここの「新しくされていく」も“kainosと同類の語で、新しさを失わない意味の語です。

新年が日ごとに古びていくだけでなく、わたしたちも日ごとに衰え、死に向かって行きます。しかし「キリストにあるならば」、「外なる人」(肉体)が古びて行くことは如何ともし難いことであっても、「内なる人」(霊的存在)としては「日ごとに新しくされていく」のです。決して古びることがない、永遠に新しい存在なのです。ハレルヤ!