今週のメッセージ 2015.2.1

主イエスの受洗

 

「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。」(マタイ313

 

新共同訳聖書によると、マタイ福音書では3章のはじめに、「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」の小見出しが付いたヨハネの活動を記す記事が置かれています。次の4章では、12節から「ガリラヤで伝道を始める」の小見出しが付いた主イエスの救い主としての活動開始の記事が出ています。そしてヨハネの活動と救い主イエスの活動開始を伝える記事の間に二つの記事が置かれていますが、その最初のものが、「イエス、洗礼を受ける」の小見出しが付いた記事です。

「イエス、洗礼を受ける」は、このコラムの冒頭にあるその書き出しからわかるように、主イエスが、ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネから洗礼を受けたことを告げるものです。このヨハネの洗礼は、「悔い改めに導く洗礼」(11節)と呼ばれるものでした。悔い改めるべき罪など何一つない神の御子が、ヨハネのところにやって来られ、洗礼を受けられたのです。そこにはどのような意味があるのでしょうか。この謎を明らかにする御言葉の一つにUコリント521があり、以下のようなものです。

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」

即ち、主が、わたしたち罪人が罪赦されて義とされるために、わたしたち罪人に連帯されのが、洗礼者ヨハネからの主イエスの受洗であったのです。このことは後の主イエスの十字架の死において結実を見ます。この御蔭でわたしたちに救いの道が開かれたことを覚えなければなりません!