今週のメッセージ 2015.3.15

弟子と使徒

 

先週は、主イエスがガリラヤにおいて救い主の働きを開始されたことについて「死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」出来事として記しました。マタイ、マルコの両福音書では、そのあとに「四人の漁師を弟子にする」という記事が続いています。さらにその後、八人の人たちを召し出し、計十二人が主イエスの弟子となりました。

ところで、この十二人は「弟子」と呼ばれるとともに「使徒」とも呼ばれています。『マタイ福音書』の10:1,2では、そのことが次のように記されています。

 「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。・・・」

「弟子」という呼称は十二人が主イエスを師と仰いで学ぶ者たちであることを表しています。それに対して「使徒」は、師から福音宣教の使命を託されて派遣されていることを意味しています。従ってペトロたち十二人は弟子であると同時に使徒であるわけです。

ところで、わが国において、宗教とか信仰というものの捉え方として、「真理の探究」とか「修行・修養」と捉える傾向が強いように思います。それは言い換えれば「弟子」として捉える傾向が強いということです。しかしわたしたちは、キリストの弟子であると同時に、ペトロたちのような十二使徒ではありませんが、やはりキリストから使命を与えられて「遣わされている者」なのです。つまり、弟子としてキリストに倣う者であると共に、キリストとその福音を伝える者としてこの世に派遣されているのです!その使命感を強く持って歩むことが、主から求められています