今週のメッセージ 2015.4.12

百聞は一見に如かず?

 

“百聞は一見に如かず”。しかし、歴史上の出来事は一回限りのもので再現は不可能です。キリストの復活の出来事はまさにそれです。

復活されたキリストは40日にわたって顕現されたことが聖書に記されています。最初の顕現のとき、トマスという弟子はその場にいませんでした。あとで仲間の弟子たちからそのことを聞かされたとき、トマスは、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(新約聖書・ヨハネ20:25)と言い放ちました。

再び弟子たちの前に顕現されたとき、今度はトマスも一緒でした。その折、キリストがトマスに言われた言葉が以下のものです。

「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(同29節)

復活のキリストは40日目に昇天されました。起元1世紀のことです。従って21世紀の今日、わたしたちはトマスたちのように見て信じることは出来ません。そのわたしたちにキリストは言われるのです。「見ないのに信じる人は、幸いである」と。

「聞いて信じる」ことをキリストはお求めなのです。では、だれに聞くのか。聖書にです。キリストは、「聖書はわたしについて証しをするものだ」(同5:39b)と言われます。また同じ新約聖書には、「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10:17)とあります。「見る」という姿勢は自己(人間)中心的です。しかし、「聞く」は他者(神)中心です。聖書においてキリストに聞くことによって信仰が生まれるのです。