今週のメッセージ 2015.5.10

終わりの日における復活の奥義

 

「ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。」(新約聖書・コリントの信徒への手紙一15:51、口語訳)

 

復活の章として知られる新約聖書中の『コリントの信徒への手紙一』の15章に基づいてすでに三回に亘って記してきました。

今回はその結びの部分(50-58節)に基づいて記します。

最初の50節では、「兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」とあります。NKJVと呼ばれる英訳聖書では、この箇所はNow this I say, brethren,・・・”と書き出されています。邦訳だとはっきりしないのですが、英訳ではthis(この事)が文頭に置かれ、強調されていることがわかります。

強調されている「この事」とは何でしょうか。「肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」がそれです。即ち、復活はこの血肉的体の復活ではないということです。前回記しましたように、「自然の命の体」が「霊の体」に復活するのです。「地上の体」が「霊の体」に復活するともいわれています。

そこで表題に掲げた「終わりの日における復活の奥義」とは何かというと、その復活の変化は「終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして」なされるというのです。このことが「奥義」といわれているのは、それが人間の探り知り得る知識ではなく、神が啓示され、人間がそれを信じることによって初めて知り得る真理だからなのです。