今週のメッセージ201/08/16)

罪意識の希薄さ克服の道


  「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。」

 (新約聖書・ヘブライ9:27,28) 

 いささか旧聞に属するが、本年4月、九州大学医学歴史館が同大学病院キャンパス内に完成し、一般公開されている。福岡に行く機会があったら是非立ち寄ってみたいと思っている。

 同大学医学部は、1903年(明治36年)に、京都帝国大学福岡医科大学として創立されたということなので、今年で112年を数えることになる。歴史館にはカルテなどの資料、大正期の双眼式顕微鏡や往診セットといった医療機器など計63点が展示され、創立以来の歩みを辿っているとのことである。しかし、わたしが立ち寄ってみたいと思っている理由は、それらのカルテや医療機器に関心があるからというわけではない。1945年に同大学医学部で起きた「生体解剖事件」の展示があるとの故からである。

 この事件は、一般的には相川事件と呼ばれるもので、1945年(終戦の年)の5月から6月にかけて、本土空襲で捕虜になったB29搭乗員8名を、九州大学医学部の一部において、西部軍監視のもとに軍事医学上の実験材料にしたというものである。

 この事件を題材にして書かれたのが遠藤周作の小説、『海と毒薬』である。この作品は日本人の罪意識の希薄さの問題を取り上げている。

 もし、日本人に罪意識の希薄の問題が実在するとするならば、それは神の眼よりも人の眼を意識させる育て方に起因しているのではないだろうか。