今週のメッセージ201/09/06)

救われるために不可欠なこと


  「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」

(新約聖書・使徒言行録16:31)

  前回は、使徒パウロの宣教旅行が、アジアを出てヨーロッパに向うこととなったことを書きました。そのパウロのヨーロッパにおける最初の伝道地となったのがマケドニアのフィリピという町でした。

 冒頭の聖句は、そのフィリピにおいてパウロが語った言葉です。

 その時の状況を簡単にいいますと、フィリピにおける伝道の際、パウロと同伴者シラスは、あらぬ罪を着せられて投獄されてしまったのです。その折、大地震が起り、牢の扉は開いてしまい、囚人を繋いでいた鎖は外れてしまうという事態が起り、そのため看守はてっきり囚人たちが、これ幸いと逃げ出してしまったと思い込み、責任を取って自害しようとしたのです。その時、パウロがそれを留め、また囚人たちもパウロの影響力により、一人も逃げ出すことなくそこに留まっていたのです。

 それを知った看守は、思わずパウロたちに向って問うたのです、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」。その時のパウロの答えが冒頭の言葉です。この看守の問いは、実は人間が本来問うべき重大な問いであり、パウロの答えは、それに対する唯一の真実な答えというべきでしょう。

 冒頭の聖句は、ともすると家長的存在の人間が信じて救いに与るならば、自動的・芋蔓式に救いが家族全員に及ぶと誤解されがちですが、それに続く32,33節の言葉を読むとき、パウロは、「看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。・・・自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた」と記され、看守とその家族は、聞いて信じて救われたことが明らかにされています。救われるためには、個々人が福音を聞いて信じることが不可欠です。