今週のメッセージ2015/10/18)

対照的な二つの反応とその違いの因


前回、使徒パウロの伝道旅行も第3回目となり、その折、伝道の中心地となったエフェソで、最初にパウロが出会った十二人ほどの人たちのことについて記しました。

今回は、さらにエフェソにおける伝道について聖書が伝えていることを見てみましょう(新約聖書・使徒言行録198-40)。

パウロのエフェソでの伝道は、彼の伝道旅行では例のない3年間もの長きに亘りました(2031参照)。その折、「目覚しい奇跡(異常な力あるわざー口語訳)」が行われたことが伝えられています。それは、「彼(パウロ)が身につけていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった」(12節)という、まさに{異常な}な奇跡でした。ここで注意すべきは、パウロは奇跡のわざを担っただけでなく、ユダヤ人の会堂で3ヶ月、「神の国のことについて大胆に論じ」(8節)、ティラノという人の講堂では「毎日論じ」(9節)、「2年間も続いた」(10節)と記されていることです。

このようなパウロの伝道に対して、非常に対照的な反応が起こったのです。ひとつはパウロのような奇跡を真似て行おうとした人たち(1316節)、もうひとつは、主イエスの御名を崇めて信仰に入り、自分たちの悪行をはっきり告白し、改めた人たちでした(1719節)。前者については、却って悪霊に取りつかれた者たちの反撃にあい、ひどい目に遭わされてしましました(16節)。他方、後者の人たちは、キリストのことを伝え、「主の言葉はますます勢いよく広ま」って行ったのでした(20節)。

この違いはどこから来たのでしょう。その現象またそのために用いられた人を見たか、それともその源なる神と救い主イエスを見たかです。