今週のメッセージ201/11/15)

信心の鍛錬


「信心のために自分を鍛えなさい。体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。」

(新約聖書・Tテモテ4:7b〜9)

現代人は「体の鍛錬」に関して非常に熱心です。軽いものでは毎朝の散歩。ちょっと重くなってジョギング。夜、陽が落ちてから家の前の道路をジョギングする女性を見かけます。毎週プールに行く知人も知っています。本格的になるとスポーツジムに通う人たちもいます。

冒頭の聖句を見ると、「体の鍛練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」として、「信心の鍛錬」の方が体のそれよりも「すべての点で益となる」と言っています。

そこで「信心の鍛錬」について考えてみます。「すべての点で益となる」所以として、「この世と来るべき世での命を約束する」ことを挙げています。

そこで思い浮かんだのが、新約聖書・ルカ福音書の161931に出て来る“金持ちとラザロ”という主イエスが話されたものです。陰府に下った金持ちは、地上にいる兄弟たちが自分と同じ轍を踏まぬよう、アブラハムの懐に憩うラザロを遣わして警告してやって欲しいと頼んだのです。それに対する返答は、「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」(29節)でした。「モーセと預言者」とは(旧約)聖書のことです。聖書に聞け、というわけです。

「聖書に聞く」ことこそ、実は信心(信仰)の鍛錬の第1なのです。