今週のメッセージ2016/01/03)

「日々新たにされていく」

 

  

  新年の2016年も早や3日となりました。“歳月人を待たず”とはよく言ったものです。弛むことなく歳月は確実に流れて行きます。あと3日もすれば、いわゆる“松の内”は終わり、7日の朝には七草粥を食べ、門松、しめ縄をはずすというのが関東では多いようです。従って、“明けましておめでとうございます”の挨拶も、松の内の間というのが一般的でしょう。

ところで、以上のような“新しさ”は時間の経過と共に古びて行く新しさです。それに対して時間の経過によって古びることのない“新しさ”があります。そんな新しさが果たしてあるのかと思われる向きも多いかも知れませんが、(新約)聖書の原語(ギリシャ語)ではその二つが使い分けられて出てきます。

古びて行く新しさについては “ネオス”という語が使われ。具体的な例文をあげるならば、以下の文がその一つです。

新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」(マタイ9:17b)

それに対して古びることのない新しさは“カイノス”が用いられ、文例をあげると以下のものが該当します。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(Uコリント5:17)

同書の4:16にも、「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきますとあり、「新たにされていきます」は“カイノス”と同系の動詞が使われています。ここには年齢を超越する新しさがあります。年齢を重ねることを消極的に捉える必要はありません。キリストに結ばれる時、日々新たにされていく新しい人生が始まるのです!