今週のメッセージ201/01/10)

主を畏れることは知恵の初め


 新年も早や松の内を過ぎました。仕事や学校も始まり、普段の生活が戻ってきたのではないかと思います。とは言え、中には昨日から3連休の方もおられることでしょう。正月気分も抜けたような、抜け切ってないような感じでしょうか。

 ところで、冒頭に掲げた表題は、旧約聖書中の「箴言」と呼ばれる書から採ったものです。「箴言」なんてあまり聞き慣れない言葉かも知れません。「箴」は鍼灸治療で用いられる「ハリ」を意味しています。今は「ハリ」は金属製です。従って鍼灸の「鍼」も金偏です。しかし昔は竹製の「ハリ」が用いられた名残から竹冠の「箴」が用いられているというわけです。従って「箴言」とは、人生のツボに射し込む格言と言えるでしょうか。

 前置きが長くなりましたが、旧約聖書の箴言には、こうした類の格言集の中に次のような言葉があるのです。

「主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。」

(旧約聖書・箴言9:10)

 表題はここから採ったと言いたいところですが、実は箴言の1:7に早々登場し、表題は箴言全体のタイトルともいうべきものなのです。

 「主」とは聖書の神のことです。「知恵」も一般的なそれではなく、神の御心をわたしたちの生活の中で的確に適用していく知恵です。そして箴言の中では上記のように文学的手法として対句がよく用いられ、上記のそれは同義的対句と言われるものです。故に後の句は、先の句を同じ意味で言い換えているので理解の助けになるわけです。

 つまり、神を畏れ敬う信仰の土台を持つことによって、神の御心に適った知恵・分別を持って生きることが出来るのだというわけです。