今週のメッセージ201/01/24)

「言葉」と「言」


「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」

(新約聖書・『ヨハネによる福音書』1:1、口語訳)

 ご自分の人生の途上で、一度は聖書を手にして読まれたことがあると言われる方も少なからずおられるのではないかと思います。

 わたしの場合は高校生の時でした。切っ掛けはアメリカ人の宣教師の方が開いていたバイブル・クラスに出席したことでした。その方は英語のイエス物語をテキストにされていました。当時、聖書には全く関心がないわたしでしたが、そのクラスでは半ば必全的に(新約)聖書が用いられることがありました。それが聖書を手にした最初でした。

 やがて、高校時代の友達のお兄さんが牧師をされていたこともあって、卒業後その教会に行くようになり、洗礼を受けてクリスチャンとして歩むようになり、さらにその後、なんと牧師にもなって、聖書を自分で読むだけでなく、そのお話しをするようになって久しくなっています。

 日本語に訳された聖書も、現在よく用いられている代表的なものでも三種類はあります。その中の一つに口語訳聖書と呼ばれるものがあります。

 読んでいると興味深い発見をすることがあります。例えば原語は“ロゴス”という語の訳語です。殆どは「言葉」なのですが、「言」一字で「ことば」と読ませている箇所があります。それは『ヨハネによる福音書』中の1:1(冒頭に表示),4,14と『ヨハネの手紙T』の1:1そして『ヨハネの黙示録』19:13です。そこではいずれも「言」一字で「ことば」と読ませています。なぜ「言葉」でなく「言」なのか。当然理由があるわけです。その理由とは、それがイエス・キリストを指している“ロゴス”だからです。それ故、他と区別して「言葉」でなく「言」を訳語としているのです。