今週のメッセージ201/01/31)

主イエスが洗礼を受けられたとは!


 いわゆる洗礼なるものがどういうものであるかをあまりご存じない方でも、キリスト教には洗礼があるということは知っていらっしゃると思います。また、イエス・キリストは、洗礼を授ける側であって、受ける側ではないとの理解もお持ちかと思います。しかし、聖書の中に、イエスがヨルダン川でヨハネという人から洗礼を受けられたことが記されています。

 当初、ヨハネ自身も当然のことながら、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに・・・」と授けることを固辞しました。しかし、主イエスの、「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」、との言葉に説得されて洗礼を授けたのでした。しかもそれは「悔い改めの洗礼」と呼ばれるものでした。悔い改めなければならない罪など何一つないイエスがその洗礼を受けられたのです。

 そこには当然意味があったはずです。

 その意味を一言で言い表すとするならば、「連帯」という言葉が最も当を得ているといえるでしょう。即ち、全くきよいお方であるイエスが、悔い改めるべき罪を持つわたしたち罪人に連帯されたのです。これは後に、主イエスが十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担って下さったことと密接不可分に関わっているのです。

 その関わりについて、主イエスの筆頭弟子であったペトロがその書簡の中で以下のように記しています。

 「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」(新約聖書・ペトロの手紙第一2:24)