今週のメッセージ201/02/28)

洗礼者ヨハネと信仰


  「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。」

  (マタイ4:12)

 冒頭の聖句は、主イエスが救い主としてのお働きを開始される契機となったことを示しています。すなわち、ヨハネが捕らえられたのを知られたことです。言葉の後半に、「ガリラヤに退かれた」とありますから、ガリラヤに逃れたように聞こえますが、そうではありません。それに続く13,14節には、「カファルナウムに住まわれた」とあります。カファルナウムは実に主イエスがガリラヤ伝道を展開するための拠点となったところです。さらに続いて、そのことは旧約時代の預言者イザヤの預言の成就であったとありますから、その行動は、逃避行ではなく、ガリラヤ伝道開始の備えだったことがはっきりわかります。

 他方、逮捕・投獄されてしまった洗礼者ヨハネです。彼は、救い主来臨に先立ち、先駆者の使命を帯びてこの世に生まれた人物です。それは旧約時代に預言者によって告げられ(マラキ3:1,23,24)、その誕生に先立ち、父親ザカリヤも御使いにより、告げられていました(ルカ116,17)。

 そのヨハネも、牢獄の中ではイエスに対する信仰が揺らいだようです。イエスのもとに弟子を遣わして「来るべき方はあなたでしょうか」(マタイ113)と尋ねさせています。するとイエスは、ご自身の働きが、イザヤの預言の言葉に符合している証しを以って応えています。

 詰まるところ信仰とは、主(また聖書)の言葉に聞き、それを信じて生きること、その一語に尽きます。

 「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(新約聖書・1017、口語訳)