今週のメッセージ201/03/13)

キリストとは・・・


 「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(新約聖書・マタイ福音書1621


 この聖句は、主イエスが、初めて弟子たちにご自身の十字架の死と三日目の復活について予告された言葉です。

 「このときから」は、筆頭弟子のペトロが、主イエスについて、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」(マタイ1616と信仰告白したときを指しています。このときを契機に、主イエスは、キリストとはいかなる存在かを弟子たちに語り始めたわけです。そこにおいて、十字架の死と三日目の復活こそ、キリストのキリストたることを証しするものであることが示されています。すると、「ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、『主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません』と言った」(同22節)と記されています。ペトロの中では、キリストと十字架の死が結びつかなかったのです。そのペトロに対して、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ」(同23節)と激しく譴責されました。その時のペトロには、キリストと十字架の死は全く思いが至らない事柄でした。しかし、キリストに敵対していたサタン(悪魔)は、そこがキリストの中心的事柄であり、そこを封じることこそ、キリストの働きを封じることだと理解していました。故に、ペトロの人間的善意のことばを利用して封じ込めを図ったわけでした。しかし、弟子の善意から出たことばの中に、キリストはサタンの企みを鋭く看破したのでした。