今週のメッセージ201/04/03)

百聞は一見に如かず?

 

  「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

  (新約聖書・ヨハネによる福音書20:29b

 昨年も同じ主題で記しましたが、先週のイースターから一週間後の本日は、やはり上記の主題で記したいと思います。

 上記の聖句は、復活から一週間後、十二弟子の一人、トマスに向って復活の主が語られたお言葉です。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29b

 そこには当然その事情があるわけです。即ち、復活の主が最初に弟子たちの前に現れたとき、トマスはその場に居合わせなかったのです。あとで仲間たちからイエスの復活のことを聞かされると、トマスは言いました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と(同25b)。

 それから一週間が経って、今度はトマスも居るところに復活の主は再びお姿を現されたのです。その折、主とトマスの遣り取りの中で、主がトマスに向って言われたのが上記の御言葉というわけです。

 “百聞は一見に如かず”。確かに一般的な事柄についてはその通りなのですが、事信仰のこと、霊的真理になりますと、「聞く」ことが「見る」ことに優越するのです。36ヶ月主の身近にいた弟子たちでしたが、主の逮捕・連行の際には主を見捨てて逃げ去ったのです。また、復活の主に会った折にも、主を政治的・武力的解放者程度にしか理解できませんでした。本当にイエス・キリストを神の御子・救い主として信じられるようになったのは、後に聖霊により御言葉を悟ることが出来たことによってでした。