今週のメッセージ201/05/08)

キリストの昇天


 「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(新約聖書・ヨハネ福音書14:2―3、口語訳)

 「昇天」などと言うと、一般的には神話かお伽話の類に入れられそうです。そこを敢えて主張すると“眉唾”と思われるのが落ちでしょう。それでいながら、亡くなられた方が出ると、気軽に天国が口にされます。その際、天国の存在の有無について突っ込む(?)ことはまずありません。

 冒頭のことばは、主イエスが、十字架の時が迫ったとき、弟子たちに語られた一連の教えの皮切りのことばです。この中で主イエスは、「あなたがたのために、場所を用意しに行く」と言われています。さらに、「場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう」と言われています。

 用意しに行く場所とは何を意味しているのでしょうか。平たく言えば、天国におけるあなたの居場所です。用意できたならば、また来るとはどういう意味でしょうか。二つ考えられます。一つは、キリスト教用語でいわゆる「再臨」と言われる、歴史の終わりのときに、主イエスが救いの完成者また最後の審判の執行者として来られるときです。もう一つは、主イエスが昇天され、それから十日して聖霊なる神が降臨されたときです。主イエスは聖霊なる神において再び来られ、信じる者の内に住まい、天国に迎えるべくそのための備えをして下さるのです。昇天こそ、わたしたちが確かに天国に迎えられるために必要不可欠かつ確かな主の事柄なのです。