今週のメッセージ2016/07/03)

ステファノの殉教


「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。」(使徒言行録7:48)

新約聖書の最初の四つの福音書に続いて『使徒言行録』と呼ばれる書が置かれています。冒頭の聖句はその中に出て来るステファノという人の説教の中の一節です。この言葉は当時のユダヤの宗教指導者たちには聖なる神殿を冒瀆する言葉と聞こえたことでしょう。

もう先々月のこととなりましたが、5/15付でキリスト教会の三大祝祭日の一つである聖霊降臨日について、『ペンテコステ』の主題で記しました。この日が起点となってイエスをキリスト(救い主)と信ずるクリスチャン、そしてその集まりであるキリスト教会がこの地上に誕生しました。

その数が増えてくると、ヘブライ語を話すいわゆる純粋なユダヤ人と、ギリシャ語を話すいわゆる外国生まれのユダヤ人の二つのグループが生まれてきました。そしてステファノという人は、後者に属する人でした。前者に対し、後者の方は低く見られていたようです。しかし、外国で生まれ育ったことが却って神殿へのこだわりを弱め、イエス・キリストの十字架と復活が成就したからには、その予型に過ぎない神殿と、そこで行われてきた動物犠牲は最早必要がなくなったことを悟っていたのです。その信仰が当時のユダヤの宗教指導者たちには理解されず、彼は殉教の死を遂げることになったのでした。そのクリスチャン迫害の先頭に立っていたのがサウロ(後のパウロ)でした。彼はステファノの処刑も目撃していました。

却って低く見られていたステファノの方が、新しい福音真理の啓示に敏感であり、彼の殉教の姿は、パウロが迫害者から一転クリスチャンとなり、さらに有能なキリスト教伝道者になる上で、多大の影響を与えたのでした。