今週のメッセージ201/07/10)

ステファノの殉教がもたらしたもの


さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。」

(新約聖書・使徒言行録8:4)


先週は『ステファノの殉教』という主題で記しました。そこで今回は、『ステファノの殉教がもたらしたもの』の主題のもとに記してみましょう。

「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです」(使徒言行録748は、前回冒頭に記した聖句です。ステファノが語った言葉で、彼の殉教に少なからず影響を及ぼした言葉です。またそれは、彼の死を招いただけでなく、エルサレム教会に対する大迫害を触発するものともなりました。そのため、教会員たちは、「皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」(同1b節)のでした。

こうして見ると、ステファノの殉教がもたらしたものはマイナス的事柄しか見えてきませんが、実はそうではなかったのです。

冒頭に記した聖句に続いて、「フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた」(同5節)とあります。このフィリポは、主イエスの12人の弟子の中のフィリポとは別人です。迫害を逃れて散って行った人たちの中のフィリポによって、却って福音はエルサレムから外へと広がっていったのです。加えて、福音はいわゆる使徒たちではなく、フィリポのような一般の信徒たちの手によって広められていったのです。詰まり、迫害は一見マイナス要因のように見えながら、新しい要素を引き出していったのです。神は実に、「万事が益となるように」(ローマ828にお取り計らい下さるお方なのです!