今週のメッセージ201/07/17)

元首相田中角栄氏の主張を受けて

 

  このところ元首相田中角栄氏の関連本がよく出版され、しかもよく売れているとか。氏が死去されたのは1993年、今から23年前のこと。すると、特段節目の時でもないのにどうして、と思わされる。

  しかし、その詮索はともかくとして、昨年出されたものの一つに、『田中角栄 100の言葉』がある。その中の筆頭に次のように記されている。

  「用件は便箋1枚に大きな字で書け。初めに結論を言え。理由は3つまでだ。この世に3つでまとめきれない大事はない。」

  この言葉に刺激されて、「この世の大事」とは異なるが、聖書のメッセージをこれに当てはめて見ようかと考えた。

  そこで、それに取り掛かる前に、予め聖書のメッセージの大前提となっていることを記しておこうと思う。

  それは二つ挙げられる。一つは、聖書は神の存在を前提にして語り出していることである。その冒頭の言葉は、「初めに、神は天地を創造された」(旧約聖書・創世記1:1)である聖書は神の存在そのものについては云々せず、それを前提に語り出している。

  もう一つは、聖書が以下のように、人は神により、神のかたちにかたどって造られた、と語っていることである。即ち、同じ創世記の1:27に、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」とあり、同27にも、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とある。

  以上の二点を前提に、次回、聖書のメッセージを角栄氏主張のそれに当てはめて記してみようと思う。