今週のメッセージ(2016/08/07) 実りある求道の秘訣
「宦官は、『手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう』と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。」 (新約聖書・使徒言行録8:31) もう1ヶ月ほど前のことになりますが、7/10付で『ステファノの殉教がもたらしたもの』という主題で記しました。殉教が引き金となって大迫害が起こるのですが、クリスチャンと教会にとって一見マイナスにしか思えない出来事が、却ってキリストの福音をエルサレムの外に向かって広め、またその伝道の業の担い手も、ペトロやヨハネといったいわゆる使徒たちの手から一般信徒の手によって担われる方向へと拡大していったのでした。 その働きの担い手となったのがフィリポという人物です。使徒言行録は7章でステファノの殉教を記すと、次の8章では迫害、次いで福音がエルサレムの外のサマリアへ、そしてその担い手であるフィリポの働きの様子が記されていきます。 冒頭の聖句は、エチオピアからはるばるエルサレムの神殿に詣でにやって来ての帰路、馬車の上で旧約聖書のイザヤ書を朗読していたエチオピア人に、フィリポが、「読んでいることがお分かりになりますか」(同30節)と問いかけたのに対するエチオピア人の返答の言葉です。『手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう』。 エチオピアからエルサレムまでは千数百キロという遠距離でした。彼はそれをものともせず、エルサレム神殿に礼拝にやって来たのです。また旅の馬車の上では聖書を読んでいました。さらに聖書を理解するためには「手引してくれる人」が必要であることも認識していました。実は、礼拝、聖書、手引の三点に求道を実りあるものにする秘訣があるのです。 |
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